15年目に思うこと

<ふくはまの風 第14号 2009/7/7より>

当法人の設立は、平成6年12月、最初の施設であるはまぼうの開所が平成7年7月。月日の経つのは早いもので、法人もはまぼうも、15年目を迎えた。

 設立準備からのこの10数年は、駆け足で過ぎてきたようにも思える。地域に障がいのある人たちが生活し、その人たちが家族とともにずっと暮らしていきたいと願い、そしてその環境を作る役割が法人にあるとすれば・・・。振り返れば、私たちに何かできることがあるのだろうか、何ができるのだろうか、もしそう思わなかったとしたら、本人や家族のその思いの実現はますます遠くなってしまう、だから駆け足になったのかもしれない。

 社会には、生まれながらに障がいのある人や中途で障がいを持った方たちがいる。みんな同じ時を共有し、一日一日を暮らしている。そして、たとえ目には見えなくとも、助け合い、与え合って生きている暮らしがある。私たちが、この仕事に携わって続けているのも、その人たちから多くのものをもらっているからだと思う。

 私が今聞いている曲の中に、「僕の人生は早送りのビデオみたい」という歌詞がある。もしかしたら、これまでの流れは、「スキップ」を押した時のDVDの速さかもしれないと思った。速すぎる展開は、独断(勝手な思い)になりがちだ。そしてその速さに、周りは戸惑い、時には不安にもなる。しかし、その不安を打ち消してくれるのが、みんなの毎日の笑顔だった。「経験は制限と断念を生む」と書いた作家がいた。確かに自分がマイナスだと感じた経験は、普通はそうなのかもしれない。でも、みんなの気持ちが笑顔のもとでひとつになれた時は、そこから新たなエネルギーが生まれてくることも、経験の中から学んできたと思う。

 

 

 人には、生老病死の4つの苦しみの他に、さらに4つの苦しみがあるという。愛別離苦もその一つである。人はさまざまな理由で、その一生のうちに、愛する人と別れなければならない場面に必ず出会う。それは、家族であったり、友人であったり、好きな人であったり・・・。喜びも悲しみも楽しさも苦しさも、生きていればこそと言える。

 一昨年から昨年の短い間に、3人の若い利用者さんが病のために、早過ぎる死を迎えられた。3人とも、みんなが認めるほどに、精一杯生きてきた。その分、身近な人たちの悲しみは大きい。ましてや生まれてからずっと傍にいて見守ってきた家族の心は、察するに余りある。このことについては、いつか書く時が来るだろうと思いつつ、今日まで書けないでいた。

 生きていたときは、きっと珠玉のごとき光を放ち、周りを輝かせ、和やかにするその笑顔に、周りはどれほど勇気をもらったことだろう。生きる、生きているということは、自分にとって何なのだろうと、何度も繰り返し問うた一年であった。私たちのこれから生きていく道筋を、彼らが示してくれたようにも思ったりもした。生きていたこと(その声や思いや願い)が、他の人の心の中で生き続けている、そんな生き方を示してくれた彼らに、心から感謝している。(髙橋和己)